名古屋市内の閑静な住宅街で、ひときわ目を引く、煙突のある洋館が安井さんの自宅兼オフィス。1階はご両親、2階は安井さんご夫婦が使用する2世帯タイプの輸入住宅である。
安井さんはフリーランス歴5年目の中堅翻訳者。主に機械やIT関連の和英を多く受注している。現在の取引先は首都圏と愛知県で合わせて数社だという。
■学校英語で英語好きに
東海地区では中高大の一貫教育で有名なプロテスタント系女子校出身の安井さんは、中学時代に英語が好きになり、それ以来一番の得意科目だった。高校卒業後、いったん系列の短大に進学した安井さんだが、そこでの授業レベルが飽き足らず、語学教育で国際的に有名な南山大学に学士編入する。
「本格的に英語を勉強したかった私には、お嬢様学校特有ののんびりした雰囲気がものたりなかったんです」
さらに、南山大学で奨学金を獲得して、1年間米国ミシガン州の大学に留学。コミュニケーション学を専攻する。
■商社への就職
帰国後、国際関係業務に就きたいと考えた安井さんは、地元の商社への就職を希望する。
「妹と二人姉妹の私には、いずれ両親との同居という可能性があったので、故郷の名古屋を離れる考えはありませんでした」
最終的に安井さんが選んだのは、名古屋に拠点を置く国際的なプリンタメーカーの商事部門を扱う関連会社だった。
「系列の商事会社に就職したのですが、すぐに親会社のメーカーへ出向になりました。そこで海外向け商品の企画開発に携われたのが、結果的に貴重な経験です」
在職中に、現在のご主人と結婚生活を開始していた安井さん。数々の難問をクリアし、総合職として実績をあげていったが、"glass
ceiling"にぶつかり、社内の人間関係に疲れを感じていったん退職する。
■専業主婦には飽きたりず、英語力を活かせる道を
もちろん、このまま専業主婦におさまってしまうようなことはなかった。
「母も自分の仕事を持っている人で、その背中を見て私は育ちました。たしかに家事や育児も大変な労働であるとは思いますが、それだけで終わる人生は考えたことはありません」。
ご主人も「家庭を守るだけで満足してしまうような人ではない、きっと何かやるぞ」と、むしろ期待していたという。
安井さんは、自分自身の原点に立ち返り、猛烈に英語の勉強を再開する。最初は図書館に通うなどして独学をしていたが、ほどなく地元の翻訳学校に通い始める。そこで高い能力を認められた安井さんは、すぐに講師からトライアル受験を勧められたという。
「それまでは地元での仕事しか考えていなかったのですが、講師の方から宅配便で元原稿を受け取りメールで納品できるのだから、地方に住んでいようと首都圏の会社と問題なく取り引きできる、という教えてもらったんです」
インターネットが普及する前のNIFTY-serve全盛時代のことである。
■ トライアルに合格し、仕事をスタート
挑戦したトライアルにはほとんど合格し、首都圏と愛知県の翻訳会社数社に登録され、一月ほどで仕事を受け始める。人一倍責任感が強い安井さんは、翻訳の仕事を始めた当初、お客様に満足していただける品質に仕上げなければならないというプレッシャーから、ストレス性の円形脱毛症になってしまったとか。また、仕事に追われるあまり家事がおろそかになってしまい、ご主人からクレームを付けられたり、仕事でたまったストレスをご主人に向けて、衝突してしまった失敗もあったという。
複数の顧客と取引するフリーランスという立場では、スケジュールの調整が難しい。どうしても夜間や週末を仕事の時間に充てなければならないこともある。このままではいけないと感じた安井さんは、ご主人と話し合って、ある程度家事を分担してもらうことにした。
「夜の方が能率があがるので、つい遅くまで仕事をしてしまいがちです。そのため朝早く起きられないこともあります。そんなときでも、今では主人が自分で朝食を作って出勤していきます」と安井さん。やはり、フリーランス翻訳者という厳しい職業を続けるためには、家族の理解と協力が不可欠なようだ。
「平均すると、一日9時間くらいは仕事にあてています。ただし、労働時間は不規則で一定していません」と安井さんはいう。「フリーでこの仕事を続けているためには、土日や夜間も働くことが避けられないと割り切っています」
独立5年目の安井さんだが、このごろは多少慣れがでてきたためか、ちょっとしたミスに気がつかないまま納品してしまい、冷や汗をかくこともあるという。
「軌道に乗った今こそ気を引きしめないと」
仕事の依頼が殺到して多忙な安井さんの目下の悩みは、肩こりだとか。ガーデニングなど、趣味にも多才な安井さんだが、特にスポーツはしていないそうである。「運動不足と長時間のパソコン作業のためでしょうか。ひどい肩こりになりました。それで、思い切ってマッサージイスを購入したんです」。決して広くはない仕事部屋でかなりのスペースを占有しているが、このマッサージイスは大活躍しているようだ。
また、ストレスを解消しリラックスするために、アロマテラピーにもこっているという。仕事中に使うと集中力を高める効果もあるそうだ。
「翻訳者同士のつき合いも大切だと思いますが、自由な時間は、気分転換を重視してなるべく同じ趣味を持つ人との交流に充てるようにしています。仕事から離れたいし、翻訳者同士だとどうしても暗くなりそうで(笑)」
甘いものを間食してしまう傾向にも気を付けているらしい。安井さんの好物はあんこ。名古屋では、トーストにバターとアンコを塗って食べる習慣があるが、Yさんもアンコには目がないのだそうだ。仕事のストレスを食欲で解消しないように注意しているそうだが、これは、在宅ワーカーに共通の悩みだろう。
■ 翻訳の仕事はアイデンティティ、さらなるステップアップのために
安井さんにとって、翻訳の仕事を続けることは自己のアイデンティティだという。
「夫に経済的に完全に依存したくないんです。現在の収入に満足しているわけではありませんが、同年代のOLよりも年収は多いと思います。年金も健康保険も自分で払っています。毎年の確定申告は青色ですし、昨年は税理士に依頼しました」
取引先の信頼があつく、多忙な毎日を送っている安井さんだが、さらにステップアップを考えている。
愛知県は、自動車、航空宇宙産業、機械などの工業製品出荷額で毎年全国1、2位に名乗りをあげる日本有数の製造業の拠点である。翻訳についても必然的に機械関係の和英の需要が多い。
「やはり、私のニッチは機械関連分野の和英だと思います。ネイティブチェックも一括で受注できることをセールスポイントに、仕事の幅とレベルをあげていきたいと考えています」
(文・撮影 トランレーダー取材班)
※この記事のオリジナルは、日外アソシエーツ発行の「読んで得する翻訳情報メールマガジン『トランレーダードットネット』に掲載されたものです。お問い合わせはこちらまで。