翻訳という仕事に自信と誇りを持とう! 『翻訳通信』一般公開記念座談会
従来は読者限定だった山岡洋一さんの『翻訳通信』が一般公開された。将来は有料メディアを目指すという。トランレーダー取材班は、山岡さんのオフィスを訪ねてお話を伺った。
(青木)出版社営業
(尾崎)出版社編集
(河野)翻訳会社経営
(加藤)本誌記者
顔を出すと損をする?
(青木)そもそも、翻訳通信を始められた経緯はなんだったのでしょうか。
始めたのは94年です。あの頃もインターネットはあったけれど、ほとんど誰も知らなかったわけだし、そんなものが使えるとは思っていなくて…。最初は、印刷したものを郵送していました。
そのうちに、バックナンバーが欲しいと言われることが多くなってきて、ものすごい数を印刷しなければならないので、嫌になってしまって…。
そうこうするうちに、インターネットが普及してきたので、バックナンバーをウェブに置いておこうと思ったわけです。
最初の主な目的は営業でした。独立して間もない頃だったので、まだお客さんが少なくて。ところが、翻訳者の営業というのは難しくて、客先に行ってはいけないんです。それで何回も失敗しました。顔を出すと損をするんです。別にそれは顔が悪いからというわけではないと思いますが…。
(一同)…(笑)
顧客に対して、仕事が欲しいという姿勢を見せてはいけないんです。仕事がなくても、武士は食わねど高楊枝で、「忙しい、忙しい」と言っていると自然に仕事が来るようになるんです。
仕事が切れたからといって、あちこちに電話をかけて仕事をください、と言ってはいけない。どうも、そういうことに気が付いてきたのですが、だからといって、忘れられてしまったらどうしようもない。自分のことを覚えておいてもらって、ときどき思い出してもらう必要がある。
そうなると、とてつもなく難しい高等技術になるわけです。
用件があるわけでもないのに電話をしたって馬鹿にされるだけだし、かといって何もしないでいると、いつまで経っても仕事が来ないかもしれない。
それで、文章を書いて送ることを考え付いたんです。ものを送るんだったら何でも良いのかもしれないけれど、翻訳をやっている人間がカレンダーなんかを送ったら、いかにもみっともないでしょう(笑)。会社だったらいいんだろうけど、個人でそれをやるとすごくみっともないことになる。だったら、翻訳について文章を書いて送ってみようか、という発想が出てきたわけです。
それで、94年から始めたのが翻訳通信ですね。まあ、形を変えた営業だったわけです。最初は、独立したばかりでまだ仕事のなかった翻訳仲間3人で作って、それぞれが自分のお客さんのところに送っていました。1ヶ月に1回か、2ヶ月に1回か送っておくと、先方もその度に思い出してくれる。ああ、そう言えば、こんなヤツもいたな、とね。だから、翻訳通信はそもそも営業の手段として出発したんです。
言いたいことを言って、読者に訴えかけるメディア
最初、3人でやっていたのが、それぞれ忙しくなってきて、営業的にも安定してきたので、営業活動をする必要性が薄れてきました。それで1人で続けるようになったんですが、今度は言いたいことを言うように内容が変わっていきました。ところが、言いたいことを言うためには、相手がわかっていないと言いにくいところがあります。
あの人に送るんだから、ここまで言ってはまずいけど、こっちの人は許してくれるだろうな、ということもあるし…。それで、読者を限定するというのは、非常に有利な条件だったわけです。
最近では、出版翻訳の状況がどんどん悪くなってきたという事情があります。以前は編集者に送っていれば良かったんです。編集者が自分のことを思い出してくれれば、使ってもらえた。
今はそうはいかなくなってきて、本が売れませんから。出版業界がおかしくなってきたと思っています。
2年位前、ある出版社の人に、読者を直接つかむよう、お願いしたことがあります。出版社が読者と結びついていないところに問題があるのだから、もっと読者に直接働きかけてください。販売は取次に任せて、出版社は新聞広告をだすだけ…。それで売れる時代は終わったのかもしれませんよ。
そう言ったことがあるんですが、読者に働きかけるのはどちらかというと書き手の仕事で、出版社ができることではないと言われてしまって。それで自分で読者に直接、訴えかけようと考えるようになったんです。
(青木)インターネットというメディアだと直接、訴えられますよね。我々は、どうしても有料化という一点に強く反応してしまって、山岡さん、有料で配信するそうだけど、それでどうなんだろうか…。
有料というのは当たり前だと思いますよ。書くことに対して素人ではないから。
著者と読者をつなぐメディア
(青木)翻訳通信が対象とするのは、どんな読者なんでしょうか。
最初は、翻訳者や翻訳学習者でしょうけど、本当は翻訳書の読者に読んでもらいたいと思っています。翻訳書は好きじゃないという人もいるから、要するに、読書の好きな人に読んでもらいたいと考えています。読書家というか、読書の好きな層をつかまえることができれば、そっちの方向に広げたい。
有料化するときは1人ではやりません。翻訳家にはちゃんとした文章の書ける人が多いから、そういう人に書いてもらおうと考えています。それで、雑誌に近いものにしたいと思っています。
初期費用が非常に低いでしょう。そういう意味では、やりやすい面があるんだけれど、有料化したときに残る読者は10%か20%でしょう。最初は読者が少ないから有料化してもなんの意味もない。相当の人数が集まらないと、ほとんどなんの意味もないわけです。
(青木)そのあたりのボーダーラインとしては、どのくらいの人数を考えておられるのでしょうか。
やっぱり、5000人はいないと。できれば1万人くらいに持っていきたいですね。
(青木)料金は、いくらくらいでお考えなんでしょうか。
年間1500円とか。
(青木)つまり、毎月配信として、1回あたり100円か200円ということでしょうか。
そうですね。まぁ、紙メディアのような利便性の部分がないから、そんなには取れないでしょう。内容が良ければ、多くの人に読んでもらえる可能性があるから、ちゃんとした翻訳家に書いてもらうという形にしないと。
(青木)小社でも、電子辞書SHOPというオンラインビジネスをやっているんですが、代金回収に手間がかかると合わないことがあるんです。あまり少額だと、チャラしないという現実があるのですが…。
そうですね。支払単価が1000円以下になってしまうと難しいでしょう。まぁ、今のところビジネスとしてうまくいくかどうかは、全然気にしていないので。そういうことを考えるのはもっと後の話ですよ。
本一冊分をプリントアウト?
著作権とか知的所有権とか言うけど、本を買う方は、利便性を買っているわけだから。必ずしも著作の部分にお金を払っているのではないと思います。
新聞は、100円であれだけのものができるなんて誰も思わないでしょう。いくら部数を売ったって。あれを全部コピーしたらいくらかかるでしょうか…。まあ、利便性と広告媒体という2つの面があるのだろうけど。
本でいうと、100ページとか300ページとかのものを自分で印刷して読めと言っても、誰もやらないでしょう。
アメリカの出版社で古典の名作を1ドルか2ドルで売っているところがあります。すごいですよ、定価が1ドルというのは。でも、よく考えてみたら、Gutenberg
というところもあって、いくらでもただで手に入れられる。それなのに、わざわざお金を出して買っている人がいるわけです。
日本にも、青空文庫というのがあって、夏目漱石とかは全部入っているでしょう。だからといって、あそこから全部ダウンロードしてきてプリントアウトして読む人はあまりいないと思います。普通、プリントアウトを自分でやると1枚で10円くらいのコストがかかるでしょう。実際にやったとすると、ものすごく時間がかかって、こんなことやっていられないとすぐに分かるわけです。費用だって、すごく高くなるでしょう。
ほとんどの人は、やっぱりお金を出して商品としての本を買うわけです。その値段の中身はどうかというと、かなりの部分が利便性に対して払っていると思います。
どうなるんだろう。自分でプリントアウトすると?
(加藤)インク代だけで、1枚4、5円でしょう。紙代はまた別ですね。
(河野)安いプリンタだと印刷にものすごく時間がかかりますから。高いプリンタだったら早いんでしょうけど、個人では持っていませんから。それに、束になった紙は持ちにくいし…(笑)。やはり、本というのはいいですね。安いですし…。
本というのは、ものすごく安いんですよ。
(尾崎)そのあたりを、出版社の方がわかっていないかもしれませんね。そういう考え方はしませんから。
(青木)本の市場をすぐにネットにとられてしまうんじゃないかとか考えてしまいますね。出版社の人間は…。
それは、ありえないですよ。利便性という点では差があり過ぎるから。買う側も著作というよりも利便性を買っている部分が大きいと思います。
ところが、別の問題もあって、出版業界が仲介機能をうまく果たせなくなっているようなんです。著者や訳者と読者とをつなぐ仲介役としての機能が低下しています。ひとつには、読者をつかめていない。
もうひとつは、こんなことを言うと気を悪くされるけれど…
今、出版社は生きていくことだけで必死じゃないですか。書き手と読者を仲介しているという意識が薄れています。つまり、著者がいて、それを読者に伝えるという役割を忘れかけている。
(青木・尾崎)ええ…。
いかに仲介するかということをほとんど考えなくなっています。そういう出版社が多くなってきた。これがもっと極端になると、かなわないな、と思っています。
きっと、あまりに苦しくなってきたので、考え方が逆転してしまったのではないでしょうか。どちらかというと。仲介者、つまりエージェントじゃなくて、自分たちが作っていると思い込むようになって、自分たちを中心に考えるようになっている…。
出版業界の仲介機能の低下
(青木)本の定価のうち、20%は本屋、10%は取次、20%が印刷・製本業者、15%が広告費、出版社が25%取るので、著者に渡るのは10%くらいということになりますね。
(加藤)
つまり、出版のインフラ、言い換えれば、出版システムの仲介側が90%で、著者は10%ということですね。
結局、出版業界の仲介機能が弱すぎると言えると思います。
他の業種で、実際にものをつくっているところの取り分が10%というのは聞いたことがありません。そういう仲介というのはあまりないと思いますよ。そう考えたときに、つくっている側の著者や訳者の取り分が10%や8%では低すぎるということになるでしょう。
翻訳会社だと、私が昔いたところではだいたい50%くらいでした。営業に経費がかかるし、チェックしないといけないから、50%は取らないとやっていけなかった。
河野さんのところは、どうですか?
(河野)そうですね。単価が下がっているので50%は取れないですね。うちは、30%を切ると赤字です。30%でぎりぎりで、40%あると楽ですね。
つまり、つくっている側の翻訳者が60%で仲介側が40%ということでしょう?
(河野)そうです。
(加藤)翻訳会社だって、ただのブローカーではなくて、営業経費や広告宣伝費、コンサルティング、顧客への品質保証、翻訳者への支払保証などを込みでやっているわけですから…。
出版業界で、著者に10%とか8%しか入らない現状というのは、ずいぶんと効率が悪いと思うんです。
そんな状況だから、翻訳者である自分がなんとか読者を開拓できないか、直接読者と結びつけないかと考えるんです。あくまでも長い目でですが、色々と考えるわけです。
ハリーポッターだけ?
私は、産業翻訳で食べているのでまだいい方ですが、出版翻訳が成り立たなくなるかもしれない。それで危機感を持っていて、何か別の形でお金が入ってくる仕組みをつくりたいとも考えているわけです。
だって、ひどい状況ですから、出版翻訳は…。
どの出版社もみな少部数にしようとしています。少部数でも出版社としては採算がとれるのでしょうが、書いたり訳したりしている人間はどうなるのか…。 そういう人達の収入のことをほとんど考えないんです。編集者にしても、そういうことがほとんど頭にないから困ったことです。
一昔前なら、重版がたくさんあったから、それで食べていけたんですが、今は日本中探しても重版で食べている人は1人もいないんじゃないかな。1人くらいはいるか…。
ハリーポッターの松岡さんくらいでしょうね。
(一同)…(笑)
あの人はちょっと違う。版元の社長でもあるから。
とにかく、重版で食べていけないんだから、なにか収入になる道を考える必要があるわけです。今は、みんな自転車操業になっているから。出版界の全員が…。
鵜飼いになった翻訳家
(青木)先日、90年代の前半に翻訳雑誌の編集者をされていた今野哲男さんにお話を伺う機会があって、そのときに、当時誌面で活躍していた翻訳家の方達は今どうしてるんでしょうね、という話題が出たのですが…。
―― 93年の『翻訳の世界』のページをパラパラとめくる山岡さん
――
どうでしょう…。
(河野)翻訳の世界も、この頃はまだ格調高いですね。
○○さんはどこかの大学の先生になったと聞いています。
△△さんは、電話で話したとき、あまりに売れないから、どこかの大学に教えに行こうかと考えているようだった。ご主人がサラリーマンだから家計が苦しいというわけではないでしょうが。でも、最近は夫婦でも財布は別というところが多いから、わからないですね。
□□さんは、今でもミステリーで活躍していますね。
◇◇さんは、本業で食べられなくなって、鵜飼いになっている。
(青木)うっ、鵜飼いですか?
そう、若い下訳者をいっぱい使って。
(青木)ああ、そういう意味ですか…(笑)
今でもちゃんとやっている人もいるけれど、何人かは確かにもうやめています。大学の語学の先生になったりとかで。出版翻訳だけでやっていると、あまりにも収入が低すぎるという現実があるから。
それは、今や翻訳全般に言えるのではないかな。産業翻訳はどうなんだろう。
(河野)いや、悪いですよ。中には稼いでいると言う人もいますが、ごく一部だと思います…。
出版はピンからキリまであるんですが、6ヶ月かかって収入はやっと70万円ということがけっこうあります。かというと、2、3週間やって500万円入って来ることもありますから。ずっと昔だけどたぶん3週間ほどの仕事で2億くらい入ってきたという話を聞いたことも…。そういうことも実際にあるんです。
でも、大切なのは、たまに大当たりする可能性ではなく、着実に生活費を稼げることでしょう。今はもう、出版翻訳で年間1千万円の売り上げが毎年ある人って、ほとんどいないんじゃないかな。印税率は下げられるは、部数は少ないはで…。
(青木)部数が少ないだけでなくて、回転も早いですからね。
もう無茶苦茶ですね。文庫も新書も全部そうだから。書評を読んでから買おうと思っても、もうどこにも売っていないなんてこともあります。すぐになくなってしまう。
いろいろな意味でなんとかしないといけないわけです。まあ、うまくいかなかったとしても、こういうので(翻訳通信で)好きなことを言っていられればいい、という面があるから…。
草野球をみせてどうするの?
最近は、インターネットで自分のサイトを公開している翻訳者がけっこういますが、そういうサイトを見ていると、なんだか嫌だなと思うことが多いんです。翻訳学習者向けに学習情報を載せたり、トライアルに合格するコツを紹介したりして、翻訳家になりたい人を集めているようなサイトです。
翻訳に限らず、世の中全体的にいえるんだけれど、どうも下に合わせるようとするところがあるでしょう。合わせるならまだしも、下に媚びを売るような傾向がものすごく強くて、それが嫌なんです。
出版社でも大きなところはそうですね。小さいところは、初めからベストセラーを出せるとは思っていないから…。
(青木・尾崎)……(苦笑)。
大手の出版社はベストセラーを出すしかないんですよ。それで、どういうわけか、ふだん本を読まない層に向けて本を作っている。不思議ですね。そんなのありかと思いませんか?
だって、本を読まない人というのは、本を買わない人なんだから…。
普通だったら、車に興味がない人に車を売ろうするのは難しいでしょう。車が好きな人はものすごく車が好きで、毎回新車を買わないと気が済まないようなところがあるけれど、私なんかは自分の車に毎日乗っているのに、車種を訊かれても分からないんですよ。
(一同)…(笑)
車屋さんで、自分が今乗っている車を訊かれても、白い車としか答えられないから、この人あやしいって思われたりします。
(一同)…(爆笑)
私みたいな人間は、新車なんか買わない。どうしようもなくなったときに中古で買うだけ。車に興味なんか全くなくて、私にとっては要するにただの足ですから。そういう人に新車を売ろうとするのは難しいでしょう。それと同じで、普段本を読まない層に本を売るのは、とてつもなく難しいはずなのですが…。
下に媚びるというのは、翻訳の中身についてもそうだし、翻訳教育産業も全部そうなっているわけです。とにかく、下に合わせて、下に媚びを売らなければならない。みんなそうなっているけれど、逆ではないのかと思うんですよ。なんでそんなことやらなければならないのか?
そんなことをしても面白くも何ともないでしょう。
すごいものに憧れるんだったらわかりますけど。たとえば、イチローに憧れてみなが大リーグを観ているわけでしょう。でも、自分があんなふうにできるとは誰も思ってはいない、いくらなんだって。野球少年だってそんな非現実的なことは思ったりしないわけです。
下に媚びる風潮というのは、たとえていうと、草野球を見せようとしているようなものです。「簡単なんですよ、怖くないでしょう、みんなで参加しましょう、ボールに当たってもぶつかっても痛くないから大丈夫ですよ」と言って。
みんなそっちの方向に行っている。マスコミ関係はみんなそうですよね。そうじゃないですか。
(青木)いや、その通りで自分がやっていることもそうです。小社でも俳句関係の商品をだしたのですが、著名な俳人に使ってもらい、満足してもらおうという売り方はしてないんですよね。初心者向けというとなんですが…。そういう内容の営業になってしまうんですよね。広く売ろうとするとなると、低めにいってしまうような…。
そういうときに、下に売ろうとする。下に媚びようとする。それでものがよく売れると思っている理由が、どうもよくわかりません。買う方も買う方だと思うけれど。そういう商品じゃないと売れないと思っているのはどうしてなんでしょう。
そうではなくて、これはすごいよね、という方向に持っていかないと面白くないと思うんです。たとえば、良い翻訳の基準としてわかりやすいかどうか、というのがありますが、そんなのはありえないでしょう。さらっと読んで、すぐにわかるというのは、ただ内容が薄いということでしかないのだから。そんなのを読んでどうするのかと言いたいですね。
テレビがそうですね、大嫌いだからテレビはあまり観ないんですが。お笑いがほんとうにひどい。まるっきりの素人を出している。テレビでもスポーツは良いと思います。さすがに草野球中継はやりませんから(笑)。草野球を見せるというのはどう考えたっておかしいでしょう。最近の政治家もそうですね。みっともなくて。あんなのにあこがれる人はいないと思いませんか。
しっかりしたものを見せれば、みんながそれにあこがれるでしょう。ところが今は、本当の意味であこがれに値するものがない。スポーツにはあるけど、他にはどこにも。
翻訳についていうと、翻訳学校にそういう嫌らしさがある。翻訳学校に通う翻訳学習者には、翻訳なんかできるはずのない人が多い。幻想を持たされて、本人達がかわいそうだと思うのですが…。どうせ一人前の翻訳者にはなれないのだから、やめておきなさいって言いたくなります。河野さん、そうでしょう?
(河野)翻訳会社で募集をかけると、だいたい応募者の95%くらいは仕事をお願いできない人ですね。
その95%は幻想を持たされて、かわいそうな人なんです。
翻訳のパラダイムがおかしくなった。以前は、理想像がもっとしっかりしていたと思います。
翻訳はエリートの仕事
ある意味では翻訳の価値基準がなくなってしまったんですね。以前はきちんとあったのに。
翻訳者というのは、読者の代表です。読者を代表して原著を読み、日本語で伝える。そういう責任を自覚していないといけない。責任感を持たないとダメなわけです。そういう責任感がなくなってしまったようで、それがすごく嫌なんです。
代表ということは、選ばれたエリートじゃないといけないわけでしょう。こういうことを言うと嫌われるだろうし、石が飛んでくるかもしれないけれど、翻訳は選ばれた者、エリートの仕事だとしか言いようがないと思います。
サッカーのワールドカップだと、代表に選ばれなかった選手も、自分たちの分まで選ばれた人に頑張ってもらいたいと願っているわけです。それなのに、もし代表がふがいない試合をしたりしたら、なんだあいつらは、と非難されますよね。それが選ばれた者の立場でしょう。
加藤さんにもなんとかしてもらいたい。加藤さんのサイトには、それが全くないでしょう?
正反対の方向へ行っている。
(加藤)はい、そういう問題は以前から自覚していまして…。
どうして、そんなことするんだよってことになる。
(加藤)マーケットを広げようとすると、どうしても視点が下の方へ下の方へと向いてしまって、なかなか上げてみようという気になれないんです。
草野球を中継しているようなものですよ。そんなことをしたってつまらないから、本当なら、みんな集まってこない。やっぱり、イチローをみせないと。みなが上を目指すようにして、一番良いものを見てもらわないと。
下に媚びるというのは、負ける路線だと思う。そんな路線をとるのはまずいでしょう。それは違うよと言いたいんです。
(聞き手 青木竜馬 取材・構成・文 加藤隆太郎)
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『翻訳とは何か―職業としての翻訳』
山岡洋一著 2001.8 日外アソシエーツ刊行
本体価格 1,600円 ISBN4-8169-1683-0
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※この記事のオリジナルは、日外アソシエーツ発行の読んで得する翻訳情報メールマガジン「トランレーダードットネット」に掲載されたものです。お問い合わせはこちらまで。
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