NIFTY-serve全盛時代、日本の翻訳文化の担い手として中心的役割を果たした元祖翻訳者コミュニティ(20世紀にはパソコン通信と呼ばれていた)の翻訳フォーラムが、11月1日からインターネットで本格的な活動を開始するという。URLは、fhonyaku.jp
だというから、どうやらニフティとは無関係のようである。
翻訳の新しいビジネスモデルとして、コミュニティと翻訳者リスト(ディレクトリ)をWebで展開する形態が流行しているが、その原型は、NIFTY-serve
翻訳フォーラムの電子会議室と翻訳者データベースにあったのではないだろうか。
当時、翻訳コミュニティとして事実上の独占メディアだった翻訳フォーラムの周辺には、HP(ホームパーティ)やPATIO(パティオ)という簡易電子会議室を利用した小規模なコミュニティが派生的に誕生し、一種の文化圏を形成していた。
誰でもが自由に自分の掲示板やメーリングリストを持てるようになった現在、相対的に翻訳フォーラムの地位が低下していると言われている。それでも、一線で活躍中のベテランスタッフによる運営体制には、翻訳エージェントや個人レベルのコミュニティには真似のできない質の高さがある。
その格調高い翻訳フォーラムが、11月1日よりインターネットでの本格運用を開始するというのである。これはパソコン通信になじみのある業界関係者にとって、ちょっとしたニュースになるだろう。
自らもささやかなコミュニティを運営している筆者は、翻訳フォーラム・マネージャー(翻訳フォーラムの責任者)の井口さんを武蔵小金井のオフィスに訪ね、お話を伺った。
◆ 井口さんの翻訳フォーラムとの出会い
井口さんは、サラリーマン時代にひょんなことから副業で翻訳にかかわるようになる。正式に翻訳を学んだことは無く、いわば我流でやっていたため、それこそ、どんな辞書を揃えればいいのかさえ知らなかったという。翻訳フォーラムに参加して、いろいろな情報に触れることができるのに魅力を感じた。
ログを読んでいると、どうやら初心者とおぼしき人が、おそるおそる訳語に関する質問を投稿していた。それに対して、「そんな、リーダーズを引けば訳語が出ているようなことを訊くんじゃない」という親切なコメント(笑)がついていたという。
そのコメントを読んで井口さんも「ああ、そうなんだ。リーダーズという辞書を引いてからじゃないと質問してはいけないんだ」とわかり、さっそく書店に走ってリーダーズのCD-ROMを購入する。
他人の質問とそれに対する回答のやりとりを眺めているだけでも勉強になるのである。
他の人が安易な質問をして、「あれは調べたの、この辞書は引いてみたのとやられているのを見て、へぇー、調べものはこういうふうにするのか」と納得したりする。
こうして、井口さんは、翻訳フォーラムの中で、プロ翻訳者としての"常識"を学び、知識を深めていった。
井口さんの場合、特にビジネスという切り口での翻訳に興味があって、フォーラムでも、その種の話題が出るたびにクビを突っ込んでいたという。いつの間にか目立つ存在になっていたらしい。
井口さんの活躍ぶりが目に留まったのだろう。ビジネスというテーマのニーズの高さが認められて、フォーラムの運営スタッフの間でビジネス専門の会議室を作ろうという話に発展した。その会議室担当のサブシス(管理権限のある運営担当者)として、井口さんに白羽の矢が立ったのである。これが井口さんが翻訳フォーラムの運営に参加するきっかけだった。
当時、サラリーマンで二足の草鞋を履いていた井口さんも、どこまでやれるか試してみたいという気持ちになって、本業に差し支えない範囲内でなら、という前提でスタッフの一員として運営に参加することになったという。その井口さん担当の会議室が「翻訳ジョブ応援会議室」である。
「たとえば、翻訳会社とのつきあい方、確定申告のノウハウなどの情報交換ができる会議室というのが、それまでなかったんですね」
◆ ニフティのフォーラム制度について
ここで、ニフティのフォーラム制度について補足しておこう。一般のユーザーがニフティ株式会社とフォーラム(電子会議室群)の運営委託契約を結び、マネージャーに就任する。マネージャーはニフティの承認を得て、さらに業務の一部を運営スタッフに再委託することができる。マネージャーと運営スタッフは、投稿の強制編集や削除などの権限に加えて、当該フォーラムアクセス中の@niftyのアクセス料金が無料になるなどのメリットを供与される。
運営スタッフも、そもそもは一般ユーザーなのである。投稿活動などを見て、運営に協力して欲しい人には個別に声をかけてスタッフになってもらうという格好になる。
◆文芸翻訳フォーラムが独立し、新しい体制へ
話をもどそう。井口さんが参加し始めた頃、フォーラムマネージャーのYASH氏が多忙となり、運営に携わるのが難しくなっていた。文芸翻訳をてがける小野氏が、後を引き継いでマネージャーに就任する。
当時のフォーラムは、ビギナー向けのエントリー館と上級者向けのアドバンスメント館という2階建て構成で、翻訳という大きな括りであらゆるジャンルを扱う場となっていた。
だが、実際には翻訳の需要の大半は産業翻訳である。そもそも文芸翻訳に代表される出版翻訳と、ビジネスで取り組む産業翻訳とでは全く性質が異なり、異業種だという見方もある。
翻訳のマーケット自体、産業翻訳の方が圧倒的に大きいのが実状で、フォーラムの参加者にしても、産業系の人が大半を占めている。
そこで、もう一つ文芸専門のフォーラムを、という話になった。ところが、翻訳フォーラムをエントリー館、アドバンスメント館、文芸館という3本構成で運営するのは、NIFTYとの契約上難しい。そこで、文芸翻訳フォーラムという独立したフォーラムを立ち上げることにしたという。
こうして、文芸翻訳フォーラムが誕生した。そうなると、もともと産業翻訳色が濃かった翻訳フォーラムはますます産業翻訳一辺倒となる。そのような状況で、トップであるマネージャが依然として文芸畑の人間では何かと不都合が生じると、マネージャーの小野氏自身が感じるようになったという。
「トップが文芸の人間では物事を見間違えるし、来ている人達も違和感を持つことになるかもしれない…」
結局、小野氏が翻訳フォーラムから離れて、文芸翻訳フォーラムの運営に専念することになる。
今後のことは残ったスタッフに一任された。そこで、おもだったスタッフが集まってオフラインで会議をすることになったのだが、そこにサブシスの井口さんも呼ばれたのである。富山県在住のにゃん氏は、遠方なので電話による参加である。
マネージャー候補の筆頭は、経験者ということで、元シスオペのにゃん氏とアドバンスメント館シスオペのFUM氏だったという。
いつもまとめ役をしてくれる人が、マネージャー候補者によってスタッフの役割配置を換えたパターンをいくつか用意してきた。ひとつひとつ比較検討してみると、
「明らかにこのパターンはないよね、というのが見えてきたんですね」
もうひとつ、翻訳フォーラムの方向性をどうするかという議論も浮上した。たとえば、ニフティの枠内で従来の路線を踏襲していくのか、あるいはインターネットに打って出るのかによって、フォーラムの今後は大きく変わっていくだろう。フォーラムの方向性との絡みでスタッフ構成についても最適な配置が決まる。
話し合いを進めると、インターネットに展開するという意見で大方一致し、その路線で行くのなら、ビジネスのセンスに優れる井口さんがマネージャーを務めるのが最もふさわしいということになった。
こうして、インターネット展開を見据えたマネージャーとして、井口さんがトップに納まったのである。
◆ 歴史的経緯
もともとは、NIFTY-serve の他にもPC-VANなどの商用BBSが存在し、それぞれに翻訳をテーマとするコミュニティがあった。だが、NIFTY-serveのフォーラムだけが生き残った。NIFTY-serveのフォーラム制度の特色は、運営を委託したユーザーに対して、数々の特典を与えたことにあったらしい。アクセス時間に応じて料金が加算される従量制が当たり前だった当時、RT(リアルタイム会議室、チャットのこと)を利用することも多く、スタッフになるとアクセス料金が無料になるのが大きな魅力だった。
NIFTY-serve自体は決して使い勝手のいいシステムではなかったのだが、Wterm、秀ターム、NIFタームなどのすぐれた巡回ソフトが登場し、ユーザーサイドの工夫でシステムが利用しやすくなっていく。こうして、電子会議室というメディアでフォーラム文化がますます栄えていった。
現在のようにインターネットが普及する以前は、NFITY-serveの翻訳フォーラムが事実の独占メディアだった。だが、いまや、誰でもが簡単に自前の掲示板やメーリングリストを持てる時代である。翻訳のコミュニティはそれこそ星の数ほど存在しているだろう。
かつて圧倒的なユーザー数を誇っていた翻訳フォーラムだが、最近では目に見えて投稿件数が減っているという。このままニフティの傘下でスタッフが力を注いでいっても、数年のうちに消えて無くなる運命だろうという見解で一致したのである。
◆ ニフティがフォーラムを見限る?
ここ数年、翻訳フォーラムの参加者が減り続けているのは周知の事実だ。そもそも、ニフティのフォーラム全体で利用者が激減しているらしい。
「2年前に、フォーラムマネージャ達の大反対を押し切ってニフティがシステム改訂を断行したんです。それが原因で、新しく@niftyの会員になった人がフォーラムを利用しにくくなってしまったんですね」
NIFTY-serve時代からの旧会員には、フォーラムへの柔軟なアクセスルートが用意されているが、新しい@nifty会員はアクセスの手段が限られてしまった。
従量課金制だった頃は、フォーラムが盛況になって、利用者のアクセス時間が増えることはニフティ株式会社にとっても、売り上げ増大という直接的なメリットがあった。だが、定額制の常時接続が当たり前となった現在、ISPのローカルサービスとしてフォーラム制度を支援する意味合いが薄れてしまっている。最近では、ニフティ自体がフォーラムの関係者にインターネットへの展開を推奨しているくらいなのだ。
「翻訳フォーラムへの参加を唯一の理由に@niftyへ加入する翻訳者、翻訳学習者は今でも少なくないんです」
そのような事情を鑑みると、昔 go fhonyaku
とやっていた記憶のある筆者としても残念である。翻訳フォーラムは他のフォーラムに比べて、現状でも比較的新規の参加者が多い方だというのだから。
いずれにしろ、@niftyのフォーラム制度がいずれ消え去る運命であることには、疑問の余地がない。翻訳フォーラムが単独でいくら頑張っても将来に希望が持てるとは考えられないのである。
そこで、将来のインターネット展開を見据えた実験的試みとして、インターネットで掲示板の試験運用を始めたという。コストをかけないために、井口さんの会社で借りているサーバーに間借りする形式にした。1年間の試験運用でCGIスクリプトの安定性などが確認でき、一応の手応えを感じたという。
10月一杯で現在試験運用中の掲示板を閉めて、FHONYAKU.JP
に移行する。ただし、@niftyの電子会議室もそのまま残すという。しばらくは、@niftyとインターネットの二重構造となるわけだ。
「電子会議室の方が衰退して、インターネットのコミュニティだけが残るかもしれないし、両方とも衰退してしまうかもしれません。まあ、こればかりは、やってみないとわからないでしょうね」
◆ なぜフォーラムのスタッフを続けるのか
時代の流れとともに、スタッフをやる特典も目減りしているというが、翻訳フォーラムのスタッフは、別に金銭的なメリットを期待してやっているわけではないという。
「スタッフも、フォーラムの先輩の指導で勉強させてもらったんだし、成長できたんです」
その点では非常に恩義を感じているという。だが、スタッフ自身はすでに一流のプロに成長してしまっているので、翻訳フォーラムの必要性は減っている。今では、井口さん自身も、もっぱらアドバイスをしてあげる側に回っている。
「だけど、自分たちにとって不要になったからといって、後のことは知らないというわけにはいかないでしょう」
後進の人達に研鑚の場を提供し、成長してもらう場として残していきたい。翻訳フォーラムは翻訳に携わる人の学校であり、スタッフにとっては母校のような存在なのだという。
「つぶしてしまっては、先輩方に申し訳ないと思うんです」
スタッフのモチベーションは、お金とは無関係だという。フォーラムを存続させるために自分にできることがあるのなら、喜んで手を貸しましょうという心意気なのだろう。
◆
インターネット版翻訳フォーラムの役割 ― 翻訳コミュニティのポータルサイト
最近、翻訳会社やスクールが独自にコミュニティを持つケースが増えている。仕事に直結しているということもあって、意外に盛況なところもあるらしい。
そのような法人主催のコミュニティについて、井口さんに訊いてみた。
「たとえば、どこかの翻訳会社が主催するコミュニティであれば、その会社や経営者に対する否定的な意見は言えないじゃないですか」
やはり、翻訳者が運営主体でビジネス上の利害を気にせず自由に発言できる場は必要だという。
「誰でも簡単にコミュニティをつくれるわけです。翻訳というテーマに限っても小さなコミュニティが無数に存在するようになるでしょう」
そうなると、これからコミュニティを作ろうという人が気の合う仲間を見つけられる場が必要になるだろう。たとえば、翻訳コミュニティのポータルサイトとしても、新生翻訳フォーラムは役割を果たしていきたいと井口さんは抱負を語ってくれた。
(文・撮影 トランレーダ取材班)
※この記事のオリジナルは、日外アソシエーツ発行の読んで得する翻訳情報メールマガジン「トランレーダードットネット」に掲載されたものです。最新記事の購読は「メルマガ購読希望」と書いてこちらまでお申し込み下さい。