【 前編はこちち 】
ただし、条件として、大学院の入学資格は自分で取らなければならなかった。通常、会社から大学院に留学させてもらう場合、準備期間として語学研修の機会を与えてもらえるのだが、井口さんの場合、新入社員ということもあり、自力で挑戦することになったという。
米国の大学院に入学するには、文系でTOEFL600点以上、理系ではTOEFL550点以上が入学の要件になる。
夏頃、同期入社の数人で力試しにTOEICを受験していたのだが、スコアは650くらいだったという。TOEFLに換算するとやっと500点を超えるくらいだろうか。
大学受験で使っていた参考書を見直してみたら、「基本的な文法もわすれていたんですね」
当時、井口さんは研究所に併設の寮に住んでいたのだが、研究所は木更津市(千葉県)から車で30分くらいの僻地にあったし仕事が忙しかったので、夜間に英語の学校に通うということもできなかった。
秋から一生懸命勉強を始めて、通勤時間を利用してFENを聞いたり、帰宅後に参考書をめくったりして努力を続けた。
「2月に受けたら553点。ギリギリだったんですね(笑)」
かろうじて入学要件をクリアしたわけだ。春に別件で米国出張した際に、現地の情報を収集し、帰国後、会社と相談した結果、オハイオ州立大学が留学先となった。井口さんが大学で研究していた装置の研究者がいたのだ。
翻訳業者の営業担当者を呼びつけて叱りとばしたという。そのときの啖呵がこうである。 「これだったら、自分でやった方がましだよ」 営業担当に言葉尻を取られたのだろうか、それほど自信があるなら、あなたが翻訳をやってみませんかと言い返されてしまう。そうなると、後には引けない。 自分の専門に近い部分で、ごく少量の案件だけを引き受けるようになったという。 「ただ英語ができれば、翻訳できるというものではないことは、わかっていたつもりなんですが、実際自分でやってみると随分と苦労しました」 NEDO時代は多忙で、翻訳する時間をとることは困難だったが、出向期間を終えて社内に戻ってからは、通勤時間や昼休みを利用して、副業で翻訳をやっていたという。この二足の草鞋時代については、井口さんの本『実務翻訳を仕事にする』に詳しいので、読んでもらいたい。 |
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(取材・文 加藤隆太郎)
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※この記事のオリジナルは、日外アソシエーツ発行の読んで得する翻訳情報メールマガジン『トランレーダードットネット』に掲載されたものです。お問い合わせはこちらまで。
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