用例12万件の重み――海野文男・海野和子さんに聞く翻訳者による辞書づくり(その1)

海野ご夫妻翻訳者の間で"うんのさんの辞書"と呼ばれ親しまれている辞書がある。
「ビジネス/技術 実用英語大辞典」(海野文男・海野和子編)がそれである。
一説によれば、ある翻訳能力検定試験会場で受験者に一番多く持ち込まれた辞書が、通称"うんのさんの辞書"だったそうだ。

翻訳者で「辞書」づくりを思い立つ人は少なくないであろう。
自分の専門分野の用語を集めた用語集、市販の辞書には飽き足らず膨大な書き込みが加えられた和英辞典―――。
しかし、本当に商業出版物として刊行するとなると、思い立つ人の数とほぼ同等に諦めた人がいるのが実状ではないだろうか。

では、翻訳者の一つの夢ともいえる「辞書づくり」を果たした海野夫妻とは、どういった方々なのだろうか。





―― そもそも辞書づくりを思い立ったキッカケは何ですか?

文男 まずこれが基本的に大事なことだと思うんですけど、英語が好きだ、というのが根底にあります。それと、実務的な面では翻訳作業をする中で、既存の辞書ではあまりにも役に立たない表現が多く、それならばというので自分達で日本の辞書に載っていない表現を集め始めたのです。
和子 そうやって書きためたデータが大学ノート30冊を超え、さる大手出版社に単行本でもいいから表現辞典として出してくれないかって持ち込んだのが、出版という意味では始めでした。

―― で、その出版社の反応の方はどうだったのですか?

文男 「どんどん作業を進めて下さい」といわれて1年ぐらい待たされたあげく、「商品性が無い」でボツ企画に…。
和子 それもその出版社がマーケットリサーチ会社に依頼して商品性を調べたのですよ。
   ちゃんとレポートも見せてくれました。

―― で、結果的に読者は認めてくれた、と。ところで、今の版元との出会いはどんな形だったのですか?

和子 出版社に辞典を出すかどうか検討してもらうというのは、資料を求められたり打ち合わせたりでとにかく時間をとられるし、それに待たされるのです。そんなことをしていたら辞典の作業が進まないし、資金のやりくりも限界に来ていたので、マスコミに助けていただこうと手紙を書きました。そんな中で'92年に朝日新聞が私たちの「辞書づくり」を記事にして下さったのですが、その記事が出た翌日に、日外アソシエーツの編集者の方からお電話がありました。辞書データの一部をお渡ししたら、驚くほど早く、いいお返事をいただいたんです。
文男 出版を思い立ってから3年、ほとんど翻訳の仕事をせずに打ち込みましたから。出版が決まったときは嬉しかったですね。

―― 3年ですか?

和子 貯金はなくなるし、親戚から借金するしで、本当大変でした。
文男 文字どおり当時は経済的に命がけというのもありましたけれど、今では、我々の辞書、特に日本語表現を英語表現に訳している部分は、翻訳者の命をかけてつくっている、迫力が他の辞書とは違うのだという自負があります。

―― それにしても、「表現を集める」といっても、その作業は大変だったのではないですか?

文男 データといっても手書きでノートに書く、集めるといってももちろんインターネットなんてありませんから、本当に大変でした。
和子 データをノートではなくコンピュータに入れるようになっても、最初はフロッピーで、それから40MBのハードディスク。遅いし、すぐいっぱいになるし。編集の能率が悪くて…
文男 情報源も紙に始まり、CD-ROM、インターネット。そういう意味で「辞書づくり」の作業は楽になりました。
   できれば英語にたくさん接して、有用な表現を集めるだけの生活をしたいな、なんてそれは夢ですけどもね、そう思っています。


11月に発売される「CD-ビジネス/技術 実用英語大辞典 第3版」のカタログには、見出し語数として、「英和」17,000語、「和英」18,000語。用例数として英和・和英合わせて15万件とうたわれている。

朝方3時まで翻訳の仕事をしていた、といいながらも活力あふれる和子さん。
雑誌、新聞、本、それに仕事上での文書でも、これはというフレーズに出会うと「うまいなコンチクショー」なんていいながらせっせとためこんじゃうんだよ、と笑顔をたやさない文男さん。

"うんのさんの辞書"。お二人の作り上げた辞書が親しみをこめてそう呼ばれるのは、お二人の仕事――用例15万件の重みを、利用者が感じるからではないだろうか。

次回はお二人の「出会い」など、もう少しパーソナルなお話をお聞きしたいと思います。どうぞお楽しみに。


海野 文男(ウンノ,フミオ) 、翻訳業
電気工学を学んだ後、米国の自動車メーカーの技術部門に勤務し、その後貿易会社に勤務。この間、海外営業、製品開発、英文・独文の製品取扱説明書などに従事。昭和57年英語の産業翻訳・メディア翻訳を始め、翌年独立。和英辞書では翻訳しきれない用語や用法が多いことから、同業の妻とともに実用的な英語辞書作りに取り組み、平成6年「最新ビジネス・技術実用英語辞典」を出版 。
海野 和子(ウンノ,カズコ)、翻訳業
商品科学研究所研究員を経て、大手電機会社のコンピュータ機器関連文書作成部門で編集および、翻訳に従事、のち技術英語の翻訳業で独立。

著作 「最新ビジネス・技術実用英語辞典」(94.1 日外アソシエーツ)
   「ビジネス/技術 実用英語大辞典」(98.6 日外アソシエーツ)
    ほかに「CD-ビジネス/技術 実用英語大辞典」(99.1 日外アソシエーツ)など

(取材・文: 日外アソシエーツ編集部)

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後編

  ビジネス技術 実用英語大辞典 英和・和英/用例・文例 第4版 CD-ROM

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