―― 翻訳者になろうと思われたのは何かキッカケがおありだったのですか?
和子 英語がもともと好きだったのですけど、キッカケは学生時代にジャズを聴き始めてアメリカを身近に感じるようになったことと、就職したばかりの年にニューヨークに行って、生の英語に触れたことです。当時は翻訳と関係のない仕事をしていたのですけど、それ以来英語にどんどんのめりこんで、仕事の合間の勉強では時間が足りないと思うようになり、英語の仕事に転職することにしました。文男 ワイフはいわゆる「追っかけ」でして、N.Yに行ったといっても、あるミュージシャンのライブを観に出かけて行ったのですよ。しかも、サラ金に金を借りてね。
和子 ご存じないと思いますど、増尾好秋というジャズギタリストのファンでして、彼はずっとN.Yに住んでいるので、N.Yのライブハウスで彼の演奏を聴くのが一つの夢だったのです。ジャズの本場N.Yという街自体へのあこがれもありました。貯金だけでは足りなくて、一部サラ金で借りたのです。でも、日本に着いたその足で返しにいったんですよ。サラ金には。
文男 そしていま彼女は、その増尾好秋の公認ホームページ(http://www.ymasuo.com/)
を運営しております。
―― 本当ですか?
和子 私たちの辞書関係のサイトをとも考えたんですけが、それはちょっと辛い部分があ
りまして、というのは全体的には自信があるのですが、やはり辞典は完璧ではあり
ませんから、弱い部分とか発行された後で「しまった」と思う箇所っていうものが
あって、インターネットで直に皆様と接触するというのは、そういう部分を引きず
ることになるのかなと思うのですよね。
―― なるほど。
和子 それで翻訳の仕事とも、辞書とも関係の無いジャズのサイトを運営しております。―― 翻訳者になったキッカケからジャズのお話になりましたけど、脱線ついでといっては何ですけど、お二人が出会われたのは何処なのですか?
文男 恵比寿にあるコムインという「英会話喫茶」で知り合いました。―― 「英会話喫茶」ですか?
和子 東京に当時5〜6店ぐらいあったのですけど、文字どおり英会話をしたいという人間が集まる喫茶店でして、そこで特に店の人がアレンジするわけではないのですが、知らない客どうしが英語で話すうちに仲間みたいになるのですよね。―― 知らない者どうし英語で話すというのは、腕試しというか、お主なかなかやるなみたいな雰囲気なのですか?
文男 そう、町の碁会所っていう感じですかね。ネイティブも来ていましたし、常連客の中でその後、翻訳者になったっていう人間も結構いますよ。―― 出会いが「英会話喫茶」ということは、以前にもおっしゃてましたけど、お二人の原点はやはり英語ということですね?
文男 そうですね。で、急に仕事の話しになりますけれど、最近の翻訳者の中には、コンピュータに強いとか電気・機械に強いというのを売り物にしている人が見受けられるけども、私は翻訳者(日−英、英−日)の基本中の基本はやはり「英語」だと思います。英語に精通していてその上で専門知識が必要なわけで、その点、英語力に問題がある翻訳者が増えてきている気がします。和子 私もそう思います。またそれとは逆に帰国子女や留学経験者が増えてきて、英語力はあるけれども、今度は専門分野の内容についていけない翻訳者もいますよね。
でも私たちが翻訳者になった80年代半ばというのは翻訳者が不足していましたから、低品質からスタートを切って鍛えられたという幸運な面もあったと思いますけども。
―― お話が翻訳者という話題になりましたけれども、では最後にこれから翻訳者になろうと思われている方々に何かアドバイスはございますでしょうか。
和子 翻訳者になること自体は難しいことではないと思いますけども、翻訳で生活するということは大変難しいということを承知しておいた方がいいですよ、ということを申し上げたいですね。ちょっと厳しいですけども。文男 そうね、現実的に翻訳料もここ20〜30年ほどレートは変わっていないのではないでしょうか。しかし私の場合「日本のもの」を英語で表現するという仕事に、難しさと生きがいを感じています。皆様もただ仕事をこなすだけではなく、そこに何か喜びを見出して欲しいですね。
翻訳の仕事、辞書づくり、増尾好秋さんのホームページ運営、そして家事に子育て。(取材文: 日外アソシエーツ編集部)
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